■イングランド大衆のフットボールを愛する流儀

 後に英国のタブロイド紙がハーラーがボールを「盗んだ」と報じ、大きな騒ぎになるのだが、ハーラーはこそこそとボールを自分のものとしたわけではない。彼は「このボールを持って帰る正当な資格が自分にはある」と確信していた。ドイツでは、「試合の最初のゴールを決めた選手が試合球をもらう」という習慣があったからだ。4-2という派手なスコアの口火を切ったのは、前半12分、イングランドのクリアミスを見のがさずに右足を振り抜いたハーラーだったのだ。

 その後、ボールは30年間に渡ってハーラーの自宅に置かれていた。それを取り戻そうと大々的なキャンペーンを張ったのは、英国の大衆紙『ミラー』だった。1996年、ワールドカップ優勝から30周年の年に、イングランドは欧州選手権を開催した。「テーラー・レポート」に基づくスタジアムの全面改修が完了し、4年前にスタートしたプレミアリーグの人気も上々。イングランドはひさびさに「サッカーブーム」のなかにあった。その機運に乗って、「国宝級のボールがドイツに奪われたままなのは威信にかかわる」とばかりに、返還を求める大キャンペーンを繰り広げたのだ。

『ミラー』紙の主張の元になったのは、英国サッカー界でのある習慣だった。「ハットトリックをした者は試合球をもらう権利がある」。この習慣に従えば、ボールの正当な所有者は、ワールドカップ決勝で初めてのハットトリックを完成したジェフ・ハーストのはずだ。「ドイツの盗っ人はボールを返せ」と、『ミラー』のキャンペーンはすさまじかった。当時56歳になっていたハーラーは、この騒ぎにうんざりし、ボールをハーストに渡すことに同意した。この年、ボールの正式な所有者はハーストとなり、現在はマンチェスターにある「ナショナル・フットボール・ミュージアム」に展示されている。

 もちろん、今日ではこんな争いは起こらない。マルチボールになってから、ワールドカップでは1試合で15個ものボールが使われるからだ。所有者は試合の主催者であるFIFA。彼らは、無事試合が終わってスポンサーや放映権業者から大金がはいってくればあとは何もいらない。決勝戦の使用球は、優勝チーム、準優勝チーム、大会開催協会だけでなく、審判団たちにも分け与えられる。

「ボールは誰のものか」と問題になったのは、ずっと昔、サッカーの試合が1個のボールで行われていたころの話だ。

 ところで、英語で「football」というと、サッカーという競技自体だけでなく、サッカーボールのことも言う。

 ハーラーからハーストにボールが「返還」された1996年。欧州選手権の最中に最も多くスタジアムで流され、ファンに大合唱されたのは、大会組織委員会が用意した「シンプリー・レッド」の公式ソングではなかった。テレビのバラエティー番組で「ザ・ライトニング・シーズ」というバンドが歌った『スリー・ライオンズ』という曲。何十年間も「勝てない」イングランド代表に対する半ば自虐的なラブソングだった。

「It’s coming home,it’s coming home,it’s coming Football coming home」

 バンドの3人の若者はそう歌い出す。そう、この年、「サッカー」も「サッカーボール」も、30年ぶりに「母国」に帰ってきたのだ。もちろん、イングランド代表は、またしても準決勝でドイツにPK戦で負けてしまうのだけれど……。

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