■盗まれた(?)優勝ボールが写る証拠写真

 史上最も有名な「ボール所有権問題」は、1966年ワールドカップの決勝戦、ボビー・ムーアからパスを受けたジェフ・ハーストが西ドイツゴールの左上隅にけり込んだオレンジ色のボールの行方だ。

 手元に1冊の素晴らしい写真集がある。私の友人でもある英国人写真家のピーター・ロビンソンがイングランドのワールドカップ30周年にあたる1996年にデザイナーのダグ・チーズマンと組んで制作した『1966 UNCOVERED The Unseen Story of the World Cup in England』。大手通信社や雑誌社、フォトエージェンシー、新聞社だけでなく、英国各地の地方紙やドイツ、フランスの新聞社などを訪ねて当時の写真を発掘し、「これまで見たことのない1966年ワールドカップ」を再現したものだ。

 試合の名シーンも含まれているが、床屋に並び、西欧の人気俳優の髪形をまねてカットしてもらっているソ連の選手たち、バーミンガムの女性歯科医に歯の治療を受けるアルゼンチン代表キャプテンのアントニオ・ラティン、少年や少女に囲まれてサインをするスペインのアマンシオ、リバプール市のライムストリート駅に到着した北朝鮮チーム(朴斗翼=イタリア戦の決勝点スコアラー=は左腕にボールをかかえている)など、これまでに見たことのない(そして今後も見られないだろう)写真が次々と出てくる。当時のスター選手とファンの関係、あるいはチームとメディアの関係も表れていて非常に興味深い。

 その最終章、「FINAL」と題されたパートの1見開きに、とりわけ印象深い写真がある。決勝戦で敗れた西ドイツチームが、準優勝メダルを手にゲートに引きあげていくシーンを撮った1枚だ。うなだれる選手たちの肩を役員が抱き、懸命に慰めているのを観客が見守っている。この直前、西ドイツの選手たちは優勝したイングランドに続いてロイヤルボックスにのぼり、エリザベス女王の手から準優勝のメダルを渡されると、キャプテンのウーベ・ゼーラーが先頭になり、笑顔で手を振りながら走って場内を一周、イングランドのファンから盛大な拍手を得ていた。しかし決勝戦で負けて落胆しないはずがない。選手たちの後ろ姿には、その悔しさがにじみ出ている。

 そのなかにただひとり、両手を腰にやって顔を上げ、チームメートに背を向けて、あきらめきれないようにピッチを凝視している選手がいる。後半45分になる直前に西ドイツの同点ゴールを決め、ワールドカップ史上初の決勝延長戦にもちこませたボルフガンク・ウェーバーだ。ドイツ人写真家のハンス・プファイルが撮影したこの見事な写真は、いまでもウェーバーの居間に飾られているという。

 この写真に、右手にボールを抱える背番号8の選手が映っている。これこそ、「世紀のボール所有権問題」の「現場写真」だったのだ。

 ワールドカップ優勝に狂喜したイングランド。その騒ぎのなかで、歴史的な試合球がどうなったのか、誰も気にしなかった。ディーンスト主審の試合終了の笛とともにベンチにいた選手や役員だけでなく、たくさんのファンがピッチに乱入し、大混乱に陥ってしまったからだ。そのなかでただひとり冷静だったのが、西ドイツのFWヘルムート・ハーラーだった。たまたま近くにきたボールを彼は両手ですくい上げ、左脇に抱えた。

 彼はボールを抱えたままイングランドの選手たちと抱擁をかわし、ロイヤルボックスにのぼってエリザベス女王から準優勝メダルを受けた。西ドイツの白いシャツにオレンジ色のボール。それはとても目立ったはずだが、誰も不思議には思わなかった。

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