■マジョルカと日本人選手
心配されていたロッカールームの適応についても、久保の問題にはならなかった。この点に関しては彼に追い風が吹いたと言えるだろう。成熟しているとはいえ、19歳の選手。たとえスペイン語力があっても、ジェネレーション・ギャップは存在する。だがシーズン半ばに、負傷で長期離脱していたクチョ・エルナンデスが復帰し、セビージャからアレハンドロ・ポソがレンタル加入した。彼らはウマが合い、プライベートでも仲が良いという。右サイドバックにポソが定着してから久保のパフォーマンスが再び上がったのは偶然ではない。
また、一時、マジョルカで久保の序列は下がっていた。攻守のバランス、とりわけ守備面の久保の課題が理由だった。「ビッグチームであれば、3トップが前線に残っていても大丈夫だ。だが我々はそれを許すことができない。最初、タケはそこに苦労していた。でも、今となっては、彼にディフェンスに下がるように指示する必要はない。1部残留のためには、そういうプレーが必要なんだと彼は理解してくれた」というペンデリンが説明する。
そう、求められるのは1部残留だ。マジョルキンが思い起こすのは、2004-05シーズンの残留劇である。あのシーズンは残り7試合で残留圏と勝ち点10差だった。「マジョルカはすでに2部のチームだ」とレバンテの当時会長が口を滑らせてしまうほど、マジョルカの2部落ちは確実視されていた。しかし、4勝3分けという怒涛のラストスパートでエクトル・クーペル監督のチームは残留を決めた。指揮官自身が「奇跡を起こした」と語る出来事だった。
あの時のチームには、大久保嘉人がいた。そして現在、マジョルカには久保がいる。マジョルカのクラブのスタッフは我々が思っている以上に日本人選手や日本との繋がりを意識しているように思う。また、昨年10月、取材でマジョルカを訪れた際、マジョルカの本拠地サン・モイスの周辺では「タケ」の26番を身に付けるサポーターがたくさんいた。彼らの口からは久保とマジョルカへの期待が語られた。
残留という置き土産。それを残した時、フェノメノ・タケ(タケ現象)は真の意味で歴史に刻まれるのかもしれない。