■1000のクラブが連帯する

 義務はない。気に入らなければ、「愛称」を名乗らなくてもいい。ただ、おそらく、世界中で「兄弟捜し」が流行になるだろう。いまは「SNS」という強力な武器があるから、あっという間に100やそこらの「兄弟」が見つかる。そして交流が生まれる。はじめはささやかに、やがて大がかりに。世界中の「ローズ・クラブ」をつなぐ新聞ができるかもしれない。4年にいちど、「ローズ・クラブ」のワールドカップも開かれるかもしれない。「兄弟同士」だから、勝っても負けてもわだかまりなどない。レベルがまったく違ったり、男女の別さえ超えた試合だから、「エンジョイ第一」となるのは間違いない。

「1000のクラブ」というのは、「1000人」ではない。少なくともその数十倍の選手がいるだろうし、サポーターまで合わせれば相当な数になる。

「ローズ・サッカー新聞」は毎週末の世界中の「ローズ・クラブ」の試合結果や詳細を掲載するだろう。「今季はもう優勝の可能性はないな」とあきらめた浦和レッズのサポーターが、埼玉スタジアムに通いつつも、南アフリカのある「ローズ・クラブ」が地方リーグの2部で優勝に近づいているのを知り、その結果を気にするようになる。そして優勝し、1部昇格でも決めようものなら、浦和レッズが優勝したときのような喜びを味わうだろう。

 財政的に困っているクラブがいたら、そのときこそ「兄弟」の出番だ。財政的に余裕のあるクラブがあれば資金援助することができるかもしれない。だがそれ以上に、世界中の1000のクラブの選手やサポーターがほんのわずかずつだけでも出し合えば、相当な助けになる。

 現在のコロナウイルス禍のなか、FIFAも日本サッカー協会(JFA)も傘下のクラブをどう救済するかに腐心しており、JFAの田嶋幸三会長は「借金をしてでもクラブを救うために努力する」と過激な発言をしている。心強い話だが、すべてのクラブを救う力など、FIFAにもJFAにもない。「互いに助け合う力」のほうが強いに決まっている。

 世界中に1000クラブだから、当然、ひとつの国に同じ「愛称」をもつクラブが生まれる。「無作為」に割り当てた「愛称」なのだから、不思議な偶然のいたずらで、浦和レッズと鹿島アントラーズがともに「ローズ」になるかもしれないが、これは仕方がない。「兄弟」にだって、仲良くできない相手はいる。ケンカばかりしている兄弟も珍しいことではない。

 だがそうしたクラブ同士、サポーター同士であっても、相手が本当に困っていることがあったら、「しょうがないから助けてやるか。ローズ同士だもんな」と思うかもしれない。たとえば浦和のGKが次々と負傷してしまったとき、鹿島から曽ヶ端準が1カ月間限定で移籍して浦和のゴールを守るかもしれない(!)。

 夢物語だろうか。

 しかしこのアイデアの最大の長所は、「ほとんど経費がかからない」というところにある。もちろん、FIFAから割り当てられた「愛称」を世界に大きく示そうと考えるクラブは、ロゴを変えたり、スタッフの名刺などを刷り直す手間をかけるかもしれない。しかしそんなことは何年間かかけてやればいい。オフィシャルサイトに「ローズになりました」とうたえば、とりあえずはそれで済む。

 経費がかからないから失敗に終わっても損害は出ないし、もし成功したら、世界がサッカーによって一瞬のうちにつながることになる。世界中に「サッカーの兄弟」がいて、いろいろな国のいろいろな人とつながっていると想像するだけで楽しいではないか。

 正直にネタを明かしておくが、このアイデアは私のオリジナルではない。

 サッカーの話ではないが、アメリカの人気作家カート・ヴォネガットの『スラップスティック』という小説にある「人工的な拡大家族」とういうアイデアを頂戴したものだ。

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4