わが良きスタジアム――ルジニキ、マラカナン、新国立競技場――(後編)の画像
2018年W杯決勝前のロシア・ルジニキスタジアム 写真:ムツ・カワモリ/アフロ
古いスタジアムは記憶している。数々のアスリートたちの血と汗と涙を。スタンドを埋めた観衆の歌と悲鳴とため息を。集った人々の轟く歓声と盛大な拍手とひそやかな落胆の嘆きを。世界には集団の記憶を色濃く残したスタジアムがある。そうでないスタジアムもまた、ある。

 ■かけがえのないマラカナン

 より最近の時代については、スポーツに関わる“記憶”もそうした国民意識の材料となっている。ウルグアイ人にとっては1930年の第1回ワールドカップでの優勝は国民意識形成のための重要なファックターだったし、ブラジル国民にとっては1950年のマラカナンの悲劇や2014年のミネイロンの悲劇は国民すべてが“記憶”している物語だ。

 また、アルゼンチン国民にとっては、かつての大統領であるフアン・ペロンとその妻エバ・ペロン(エビータ)とかタンゴ歌手のカルロス・ガルデル、作家のホルヘ・ボルヘスと並んで、ディエゴ・マラドーナは国民統合の象徴のような人物だ。

 日本人にもスポーツに関する“記憶”はいくつも存在する。たとえば1936年の前畑秀子の金メダルや1964年の東洋の魔女の物語などオリンピックに関するものがあるし、大相撲の双葉山の69連勝の物語、あるいは川上哲治や長嶋茂雄、王貞治、イチローなどのプロ野球の名選手たちの物語がある。サッカーは、残念ながら古い時代には国民的な物語とはなっていなかったが、最近では「ドーハの悲劇」や「ジョホールバルの歓喜」は多くの国民に共有される“記憶”として残っている。

 そうした、“記憶”は日本国民にとっての大事な財産であるはずだ。

 ロシアは、そうした“記憶”を大切にするために、全面的に改築したルジニキ・スタジアムやエカテリンブルクのスタジアムの外観を保存することを選択したのだ。

 2014年のワールドカップ決勝の舞台となったリオデジャネイロのマラカナンもそうだ。

 世界最大のサッカー・スタジアムの一つであるマラカナン(2018年のオリンピックの開会式もここで行われた)。それは、ブラジル国民にとってかけがいのない“記憶”の舞台となっている。1950年のワールドカップ決勝での悲劇以外にも、ブラジル国民にとってはいくつもの国際試合の“記憶”が残っているだろうし、ペレが1000ゴールを記録したのもこのマラカナンでの出来事だった。いや、かつては20万人を収容したマラカナンという建築物自体がブラジル国家の象徴でもあった。

 だが、マラカナンも2014年のワールドカップの前に全面改築された。

 1950年のワールドカップのために建設された旧マラカナンは円に近い楕円形の競技場だったからメイン、バックスタンドの中央付近は、陸上競技兼用スタジアムほどではないにしてもタッチラインからかなりの距離があった。そして、2層式のスタンドの下層は傾斜も緩やかだったから、けして試合が見やすいスタジアムではなかった。そこで(スタンド自体が老朽化して事故も起こっていた)、ワールドカップ前にスタンドは改築されて長方形に近い形となり、一層式の傾斜のあるスタンドが建設された。

 しかし、スタジアムの外観は円に近い楕円形のままにされた。また大屋根を支える太い梁も原型のまま残されたため、外観は旧マラカナンとほとんど変わらなかった。

 スタンドの後方から張り出した梁で大屋根を支え、スタンドのピッチ側に柱が1本もないキャンティレバー(片持ち梁)式の大屋根は、1950年当時は最新の工法だった。そのため、屋根の取り付けはきわめて難しい工事となり、大会開幕に間に合わなかった。その大屋根も2014年大会の前にはグラスファイバー製の軽快なものに取り換えられたのだが、旧マラカナン時代の太い梁はそのまま利用されたのだ。

 2014年大会の開幕戦が行われたアレーナ・コリンチャンス(サンパウロ)は新設されたスタジアムで、ガラスを多用した近代的な外見だったが、リオデジャネイロのマラカナンやベロオリゾンテのミネイロンは“記憶”を大切にしながら全面改築されたのである。

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