■革命家を記憶する競技場
2018年ロシア・ワールドカップの決勝の舞台となったのは、モスクワにあるルジニキ・スタジアムだった。
地下鉄1号線のスポルティヴナーヤ駅または中央環状線のルジニキ駅で降りてスタジアムに向かい、ゲートをくぐっていよいよスタジアムが間近に迫ってくる。このスタジアムは長軸が東西方向になっているので、駅から歩いていくと最初に目に入るのは北側バックスタンドだ。そして、そのバックスタンドの前に聳え立っているのがウラジミール・イリッチ・レーニンの巨大な銅像だ。
1919年の2月革命でロマノフ王朝が倒れると亡命先から帰国して労働者や兵士を動員し、その力を背景に一気にクーデタ(10月革命)で政権を奪い取ったボルシェビキの指導者。ソビエト連邦を生み出した革命家である。
このスタジアムも、かつては「レーニン中央スタジアム」と呼ばれていた。
市内中央を流れるモスクワ川が南に大きく蛇行した半島状の土地は、かつては荒地になっていたが、19世紀のうちにはすでに上流階級の人たちがヨットやフットボールなどのスポーツを楽しんでいたのだという(現在の名称ルジニキは「沼地」といった意味の地名)。そして、革命後にはソ連政府が最初のスタジアムを建設。第二次世界大戦後の1955年には巨大スタジアムを建設してスパルタキアード(ソ連版の国体)などのスポーツ行事や政治的集会に利用していた。そして、1980年にはオリンピックのメイン・スタジアムにもなっている(アメリカや日本など西側諸国はボイコット)。
実は、僕はワールドカップの時まで、このスタジアムで試合を観戦した経験がなかったのだが、最初にこのスタジアムを見たのは1974年にワールドカップ観戦のために西ドイツ(当時)に向かう途中にモスクワに立ち寄った時だった。川の対岸の高台にあるモスクワ大学構内からはスタジアムが目の当たりに見えた。
スタジアムが建設された第二次世界大戦直後には、当時の独裁者ヨシフ・スターリンの名前を取って「スターリン様式」と呼ばれる重厚なスタイルの建築物がいくつも建てられた。レーニン・スタジアムも、列柱が並ぶスターリン様式の重厚な外観が印象的だった。その後、オリンピックを前に大きな照明塔が造られ、さらにスタンドを覆う屋根も取り付けられたが、外観はその時とほとんど変わっていない。
ロシア・ワールドカップの開幕戦の当日、レーニンの銅像のあたりに差し掛かると、そんなスタジアムの外観を見て、40年以上前の若い日の記憶が呼び起こされ、懐かしさがこみ上げてきたものだ。
しかし、かつては陸上競技とフットボールの兼用だったこのスタジアムはワールドカップを前に全面改築されていた。単に陸上競技のトラックが撤去されただけでなく、昔のスタジアムは解体され、全面改築されたのだ。かつては一層式のスタンドだったが、現在は2層式になっているから、写真を見れば違いは一目瞭然だ。
サッカーファンにとっては、2008年に行われたチャンピオンズリーグ決勝の光景が記憶に残っていることだろう。マンチェスター・ユナイテッドとチェルシーというプレミアリーグ勢同士の対戦となった決勝だ(PK戦でマンUの勝利)。この時は改築前だったから、陸上のトラックが存在し、昔と同じ一層式のスタンドだった。人工芝の上に張った天然芝が根付いておらず、酷いピッチ・コンディションだった。
その後、ワールドカップを前にスタンドは全面改築されたが、スターリン様式の外壁だけは保存され、新しく建造されたスタンドに取り付けられた。構造的にはそんなことをする必要はなかったのだが、かつてのスタジアムの“記憶”を留めるためにそうしたのだ。