■脈々と生き続ける物語

 ワールドカップを前に、ロシアでは多くのスタジアムが建設された。

 たとえば、サンクトペテルブルクに新設されたクレストフスキー・スタジアムは黒川紀章氏の設計によるもので、巨大なマストから屋根を吊り下げる近未来的なデザインである(同じく黒川氏の設計による豊田スタジアムとよく似ている)。その他、カザンの新スタジアムなど、多くのスタジアムは近代的なスタイルのものだったが、ルジニキでは“記憶”が大切にされたのだ。

 もう一つ、面白かったのが日本がグループリーグでセネガルと対戦したエカテリンブルクの中央スタジアムだ。かつては自転車競技とスピードスケートに使われていたというスタジアムだが、ここもワールドカップを前に全面改装された。そして、ワールドカップの時には両ゴール裏に巨大な仮設スタンドが設置されて話題になった。鉄パイプを組み上げた仮設スタンドは、高所恐怖症の人はとても座っていられないだろうという代物だったが、ワールドカップ終了後は簡単にダウンサイジングできるので、とても合理的な考え方と言っていい。

 そして、仮設スタンド以外のメインスタンド、バックスタンドは近代的な外観に生まれ変わり、巨大な屋根も取り付けられたのだが、昔のレンガ作りの小さなスタンドの外壁がそのまま新しいスタンドの一部として組み込まれていた。

 ここも、スタジアムの“記憶”を大事にしたのだ。

 そもそも、エカテリンブルクという街はピョートル大帝の時代に、ロシアの近代化の一環として豊富な水力を利用して工業化された都市で、はるか遠い時代の工場群などがそのまま保存されているなど古き良き時代の“記憶”を大切にしている都市だ。だからこそ、スタジアムでも過去の“記憶”をしっかり留めようとしたのだろう。

 人の人格、つまり私が私であり、あなたがあなたである理由は何なのだろうか? それは、数々の記憶、「エピソード記憶」と呼ばれるものの積み重ねなのである。子供の頃の家族や学校での記憶。音楽とかスポーツに打ち込んだ青春の記憶。いくつもの失敗の記憶。淡い(または熱い)恋愛の記憶。あるいは、何かの恐怖を覚えているかもしれない。そうしたものの積み重ねが、私を私たらしめ、あなたをあなたたらしめているのだ。

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