■少年は颯爽と去っていった

『サッカー批評』での取材でポルトガルに行ってから、17年もの歳月が経過した。

 1980年代末から徐々に改革が始まり、FCポルトではダ・コスタ会長がクラブ経営を近代し、新しい新スタジアムやトレーニング・センターを建設。他のクラブも施設を充実させた。そして、協会は選手のスカウティング・システムを刷新し、またコーチの育成にも力を入れるようになったのだ。新しい近代的なスタジアムは、ポルトガル・サッカー近代化の目に見える象徴だった。

 しかも、そうした近代化の過程で、彼らは自分たちのサッカーのアイデンティティをしっかりと意識していた。

 そして、近代化が始まったと同時期にジョゼ・モウリーニョという才能と野心を併せ持つ指導者が現われ、また他を圧倒するフィジカル能力とテクニックを兼ね備えたクリスティアーノ・ロナウドというワールドクラスの選手も出現した。

 2004年の地元開催のEUROでは決勝戦で伏兵ギリシャに敗れて惜しくも準優勝に終わったポルトガル代表だが、2016年にはついにヨーロッパの頂点に立った。そして、今ではモウリーニョに続いてヴィラス・ボアスをはじめ、多くの指導者が各国のビッグクラブや代表チームで指揮を執るようになっている。

 17年前の取材では、ポルトガルという国のサッカーがまさに世界に打って出ようとする、その現場を見たのだ。現在の日本のサッカーの立ち位置は、当時のポルトガルとかなり似ているともいえる。これから、20年ほどの間に日本のサッカーが世界のトップと伍して戦えるような存在になれるのか……。17年前のポルトガルの姿は何かのヒントを与えてくれるのかもしれない。

 18歳のクリスティアーノ・ロナウドは快活で愛嬌のある青年だった。

 僕たちが取材を終えて、トレーニング・センター「アカデミア」の門の外で帰りのタクシーを待っていると、スポーツカーに乗ったロナウドは僕たちに手を振って颯爽と去って行った。

 それから4カ月後の2003年7月にはトゥーロン国際大会で、U-18代表のメンバーに入っていたクリスティアーノ・ロナウドと再会した。試合前に整列していたロナウドが僕の顔を見つけて、懐かしそうな顔をして大きく手を振ってくれたのだ。

 当時から将来を嘱望される存在で、トゥーロン国際大会の直後にはマンチェスター・ユナイテッドに入団したとはいえ、その若者がその後、バロンドールを5度も受賞するほどの偉大な選手に成長するとは、当時の僕には想像もつかなかった。

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