■なによりもテクニックを重視
もちろん、ハードの充実だけでは片手落ちだ。サッカー強化は、選手の育成を抜きには語れない。ポルトガルのサッカー界は選手強化のためのソフト面でも改革を進めていた。
新時代への動きは1980年代に、U-20代表監督を任されていたカルロス・ケイロス(元名古屋グランパス監督。マンチェスター・ユナイテッドでアレックス・ファーガソンのアシスタント、レアル・マドリード監督などを歴任。前イラン代表監督。現コロンビア代表監督)が中心になって全国から選手をピックアップするシステムを構築した。全国を13の地区に分けて、各地区にコーチを巡回させて地域選抜チームを結成、その中から代表をピックアップするシステムを作り上げた。ポルトガルは、人口が1000万人程度の小国だから、強い代表チームを作るには全国のタレントを見逃してはならないのだ。
このシステムの中から、「黄金世代」が発掘され、カルロス・ケイロスのU-20代表はワールドユース選手権(現U-20ワールドカップ)で2連覇を達成した。
もちろん、ビッグクラブもそれぞれ全国に(アフリカの旧海外領土も含めて)スカウト網を維持している。それと並行して、ポルトガル協会(FPF)も独自のアンテナを張り巡らしたのだ。
また、1980年代には協会はコーチの育成にも着手した。
かつては、ポルトガルの強豪チームは外国人監督に頼っていた。
1960年代にチャンピオンズカップなどで活躍したベンフィカを築き上げたのはブラジル人のオットー・グロリアやハンガリー人のベラ・グットマンだったし、また1990年代にFCポルトが強化を託したのは、ユーゴスラビア人のトミスラフ・イヴィッチやイングランド人のボビー・ロブソンだった(そのロブソンの通訳となったことがジョゼ・モウリーニョにとっては大きな転機となった)。
1990年代以前に「将来、ポルトガル人指導者がイングランドやスペイン、イタリアなどのビッグクラブで監督を務めるようになる」などと言ったら、サッカー大国の人たちからは一笑に付されたことだろう。いや、ポルトガル人自身、そんなことを信じようとはしなかったはずだ。
こうして、様々な意味で近代化を果たし、「ヨーロッパ」へのキャッチアップを目指したポルトガルだったが、同時にポルトガル・サッカーのアイデンティティも大切にしていた。選手のテクニックを生かしたポルトガルのスタイルを追求したのだ。
選手をスカウトする基準も、まず第一にテクニック、続いて戦術的なセンスが重要視され、その後にフィジカルやスピード、そしてメンタル的な強さという順序になる。そして、トレーニング面でも徹底してテクニックが重視された。
ヨーロッパでは、一般に戦術的なトレーニングが重視されるし、南米ではゲーム形式のトレーニングが一般的だ。だが、ポルトガルのあるコーチは言った。「ゲームをするより、時間をかけてテクニックの練習をするのが基本だ」と。