■いまはそれを言うべきではない
今回、幸いだったのは、パラリンピックの代表候補だった選手を中心に多くのアスリートたちが「切り換えて1年後に向けて準備する」と前向きな発言をしたことだった。しかしメディアの期待どおり泣き言を言うアスリートも少なくなかった。
1980年当時、私は28歳で、『サッカー・マガジン』の編集の仕事に携わっていた。そして涙を流しながらオリンピック参加を訴えるアスリートたちを見て、大きな違和感を感じていた。サッカーのアジア予選は日本政府がボイコットを決めた後の1980年3月下旬にクアラルンプールで行われ、マレーシア、韓国に次いで3位。すでに出場できないことが決まっていたため、少し覚めた気持ちでいたこともあったかもしれない。
実際には、出場権を獲得したマレーシア、次いで2位で「繰り上げ出場」になるはずだった韓国がボイコットを決め、モスクワで組分け抽選会が行われた5月15日の時点ではアジア予選で3位だった「日本」の名前があった。そして抽選の結果、日本は、東ドイツ、スペイン、アルジェリアとともにC組にはいることになった。しかしJOCは早くから「他国がボイコットした結果の代替出場は認めない」という方針を出しており、9日後、5月24日にJOCが最終的に大会ボイコットを決定するのを待つまでもなく、日本サッカーのモスクワ・オリンピック出場はなかった。
少し脱線した。
このモスクワ大会ボイコット問題で、涙で出場を訴えるアスリートを見て感じた違和感とは、「この人たちは自分だけの力ではなく、JOCや政府の援助を受けて思い切り活動することができてきたのではないか。政府やJOCの都合で出場できないなら、仕方がないではないか」という思いだった。
はっきり言って、柔道やレスリングで誰もが「世界最強」と認める超一流のアスリートが自分自身が取り組んでいるスポーツに対し、まるで子どものような自分勝手な考えしかもっていないことに、大きく失望した。
今夏の東京オリンピックを目指してきたアスリートたちは、人生を賭けてきたものを失った気持ちになっているかもしれない。それは十分に理解できる。しかしいまはそれを言うべきではない。今回の新型コロナウイルス禍は、あらゆる人の生活と人生設計に打撃を与えている。恵まれた環境でオリンピックやパラリンピックを目指してきた人たちなら、自分たちが失ったものよりもっと大きなものの失った人びとが世界にあふれていることに思いをめぐらせるべきだ。
<後編に続く>