――ゾッとする量です。では、そろそろ本日のメインテーマに移りましょう。ドイツサッカーはここ15年ほどで急激に発展しました。ドイツ代表はもちろん、ブンデスリーガの成長も著しい。その理由を教えてください。
「理由を一つだけ挙げるのは難しい。まずはユースとジュニアユースのスカウティングや練習メニューが大分変わりました。2000年くらいから。それまでのドイツサッカーは身体の強さばかりが重視されました。正直つまらなかった。面白いサッカーではなく、成功もできなくなった。そこで今ではどこのクラブにもあるアカデミーを作り、良いコーチを集めて、各クラブが独自のフィロソフィーを作りました。それからフランクフルトのDFB(ドイツサッカー連盟)トレーニングセンターに各クラブから優秀な若手選手を集めて、そこでも良い監督や良いコーチの下で育成が行われました」
――練習メニューは具体的にどう変わりましたか?
「選手一人ずつにフォーカスして、身体を鍛えるだけじゃなく、技術レベルの向上を図るようになりました。ここ10年ほどのドイツでは、スピード、反応、切り替えの練習が重視されています。DFB、クラブのどちらも力を入れていますよ」
――フィロソフィーについて、もう少し詳しく教えてください。
「例えば、ドイツ代表のレーヴ監督はトップチームだけを考えているわけではありません。Uー21、Uー19も同じプレースタイルにしました。そう、アヤックスやバルセロナと同じように。昨年のコンフェデレーションズカップでは、若い選手が中心のチーム編成でした。Uー21と言ってもいいほど若かった。それでも、ベストメンバーの時とほとんど同じサッカーで優勝することができました。レーヴ監督はA代表、Uー21、Uー19を点ではなく線で見ていますよ」
――レーヴ監督は世代別カテゴリーの壁を取っ払った最初の代表監督でしょうか?
「そうかもしれない。昔は『私のチームは私のチーム。上や下のカテゴリーは関係ない』と考える指導者が多かった。でも、いまはカテゴリーに関係なく、ドイツ代表は一つのチームになっています。もちろんUー21、Uー19の代表監督がレーヴ監督をしっかり理解して、リスペクトしているのも大きい。ドイツの監督は試合に負ければ、メディアからプレッシャーをかけられます。でも、レーヴ監督は最初から結果を残してきたので、誰も文句を言わない。これも彼が改革を推し進められた理由の一つでしょう」
――監督が結果を出せず、すぐに解任されるようだと、選手たちはフィロソフィーの変化に対応しなければなりませんよね。
「その通りです。2、3試合負けただけで監督が代わる。そうすれば、当然フィロソフィーも変わる。ドイツ人はみんなワガママだけど、日本人は辛抱強いので、10年、20年といったスパンのプランニングができる」
※第2回に続く
(この記事は2018年5月25日に発行された『サッカー批評89』(双葉社)に掲載されたものです)
ピエール・リトバルスキー
1960年4月16日生まれ、ドイツ・ベルリン出身。78年、ケルンでプロデビュー。10 番を背負ってキャプテンを務める。ドイツ代表としてW杯に3回出場し、優勝1回、準優勝2回。Jリーグ初年度の93年にジェフユナイテッド市原に移籍。日本で通算4年間プレーした後に現役を引退した。横浜FCを皮切りに監督やコーチを経験し、2010年より働くヴォルフスブルクではアシスタントコーチ、代理監督を経て、現在はチーフスカウトを務める。