日本サッカーがこれから世界と戦う上で、クラマーさんが指摘した3つの要素は必要不可欠な教訓だと思います。ただ後悔があるとすれば、「日本が今後、具体的にどんな練習をすれば良いのか?」、「今の日本人に最も合ったトレーニングは何なのか?」を聞けなかったことです。全くの偶然、限られた時間でもあったので、それ以上の質問は無理でしたが、その後もクラマーさんは、ただただなでしこジャパンを絶賛していました。

 興奮気味に話される姿は、現役のコーチのように情熱に溢れていました。きっと50年前も、釜本邦茂さんや杉山隆一さんの前で、こうやって机を叩きながら、熱のこもった話をされていたのかもしれません。

 今回はクラマーさんの最後の言葉や哲学をより多くの日本のサッカー関係者、指導者、そして選手や子供たちに知っていただきたいと考え、その貴重な証言を元に記事を執筆させてもらいました。クラマーさんが天国に召されたことで、そのサッカーへの愛、日本への愛は不変的なものとなったと思っています。

 メディアの一員として、今後もクラマーさんの偉業や言葉、そして哲学を多くの人たちに語り継いでいきたいと考えています。

(この記事は2015年10月28日に発行された『サッカー批評77』(双葉社)に掲載されたものです)

PROFILE
DETTMAR CRAMER
特別選考 2005年第1回日本サッカー殿堂入り
1925年4月4日 ドイツ生まれ
1960年、第18回オリンピック競技大会(1964/東京)に向けた強化・指導にあたるため日本代表コーチとして来日。以後、わが国の強化、指導者養成、ユース育成等の礎を築き、日本サッカーの父と称される。第19回オリンピック競技大会(1968/メキシコシティー)ではアドバイザー的役割を果たし、日本の3位入賞・銅メダルに多大な貢献をする。1969年、千葉で開催された第1回FIFAコーチングスクールでは、スクールマスターをつとめる。その後もFIFA専任コーチとして世界70カ国を巡回指導。1988年、茨城で開催されたFIFAコカ・コーラワールドユースアカデミーでの講師をつとめ、1989年、JFAの招聘により9回目の来日。2年間にわたり特別コーチをつとめる。本国では、西ドイツ協会コーチ、バイエルン・ミュンヘン、バイヤー・レバークーゼン等のビッグクラブの監督を歴任。バイエルン・ミュンヘンの監督として、ヨーロッパチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)2連覇を果たす。また、アメリカナショナルチーム監督、サウジアラビア代表監督、韓国オリンピック代表コーチ、サウジアラビアやギリシャのトップクラブの監督をつとめる。1971年 勲三等瑞宝章、1996年 日本サッカー協会75周年記念功労賞(以上「日本サッカー殿堂』HPより)
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