ソン・フンミンら世界的スターを擁し、ワールドカップではアジア最多の出場回数を誇る韓国代表。しかし彼らは、「AFCアジアカップ」という身近な大舞台で、なんと64年間も優勝カップを掲げていない。サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之の「超マニアックコラム」。最終回は、異常な過密日程のなかで躍動した初代王者・韓国の底力と、アジアサッカー界における「最大のミステリー」の謎に迫る。【第3回/全3回】
■過密日程の死闘をフィジカルでねじ伏せた韓国の底力
この第1回大会の試合日程は非常に不規則だった。試合は1日1試合で、9月1日の香港×イスラエルの次の試合は6日の韓国×香港、3戦目が8日のイスラエル×韓国で、翌9日に南ベトナム×香港が行われた。これで地元香港の試合はすべて終了し、2日置いて12日にイスラエル×南ベトナム、最終日15日に韓国×南ベトナムが行われた。会場はすべてガバメント・スタジアムである。
韓国は台北での中華民国との予選の4日後、6日にガバメント・スタジアムに登場し、香港(中4日)と対戦した。さすがに動きが鈍く、前半2点をリードされたが、後半立ち上がりにMFキム・チソン(金智星)のゴールで追いすがり、後半22分にはFWスン・ナクウン(成楽雲)が同点ゴールを決めて2-2の引き分けに持ち込んだ。香港としては痛すぎる引き分けだった。
韓国は本当にタフなチームだった。台北で予選をこなし、香港に飛んで3日後に3万人の観衆のもとで香港と戦い、そして中1日、9月8日にはイスラエルとの「決戦」を迎えるのである。前半を0-0で折り返すと、後半、韓国が地力を発揮し始める。後半13分にFWウ・サングォン(禹相権)が先制、成楽雲が畳みかけて2-0とすると、イスラエルの反撃をステルマッハの1点にとどめて2-1で勝ち切ったのだ。




































