■2つの寂しい別れ
しかしピエロ・ピレリがクラブを離れ、1930年代になると「ミランFC」は不振の時期を迎え、タイトルもトリノ市のユベントスに独占されることになる。そして1935年、クラブはスタジアムを手放すことを決断、ミラノ市に購入してもらうことになる。
ミラノ市はすぐにスタジアムを改修、両ゴール裏スタンドの増設、各コーナーにあった切れ目にもスタンドをつくって4つの観客席をつなげ、合計6万5000人規模に拡張した。これによって、「サンシーロ」はイタリア第一級のサッカースタジアムの地位を守った。
第一次世界大戦(イタリアは連合国=戦勝国=側だった)後、イタリアは1922年からベニート・ムッソリーニが支配するファシスト政権が続き、民族主義が台頭していた。英語名を持つ「ミランFC」には、政権からの風当たりが強かったが、ついに1938年、「AC(イタリア語で『サッカークラブ』を意味する)ミラノ」への名称変更を強いられた。イタリアが第二次世界大戦で降伏した1943年以降、1944年には英語の「ミラン」が復活したが、「AC」は残り、以後クラブ名は「ACミラン」となる。














