1993年の5月15日にJリーグが開幕し、同年の10月28日に『ドーハの悲劇』、そして1997年11月16日の『ジョホールバルの歓喜』を経て、初めてワールドカップ出場を果たした日本サッカー界。このシリーズ連載では、時に人々を歓喜させ、時に人々を悲嘆させた、日本サッカーの歴史を紐解きながら、サッカーに関連する「今日の出来事」を紹介する。
78日前(3月24日)に敵地に遠征したときのスコアは0-5。衝撃の大敗からの再戦は0-1で屈した。
各大陸の王者が集まり、1年後のワールドカップ日韓大会のリハーサルとして日本で行われたFIFAコンフェデレーションカップ決勝、日本-フランスは2001年の6月10日にあり、今度は0-1の最少得点差での敗戦だった。
が、シュート数6対20と内容としては完敗。フランスの決勝点は30分で、FWパトリック・ビエラがDFフランク・ルブフのパスをGKの直前で合わせてゴールを割った。
日本は準決勝のオーストラリア戦までの4試合を通じて、CB森岡隆三を中心に無失点で乗り切っていたが、通算390分目で決められた1点で準優勝に甘んじることになった。
フランス人のフィリップ・トルシエ監督が狙いとした積極的なプレスはフランスの経験豊かな動きにかわされて、徐々に前線との距離が空いて、1トップのFW西澤明訓が孤立。MF三浦淳宏ら次々と送り込んだ交代の駒も通じず、後半にシャドーのMF森島寛晃のつかんだチャンスも実らなかった。
ワールドカップ本番まで1年、所属クラブの関係で決勝前に離脱したMF中田英寿の存在感が浮き彫りになった1戦でもあった。














