いよいよワールドカップ開幕が近づいてきた。北中米3か国での共催ながら、実質的にはアメリカ大会と言える今大会。蹴球放浪家・後藤健生は32年前の“前回アメリカ大会”も現地で取材している。「もし2度目のアメリカ開催となる今大会なら、バッジョも優勝できたかもしれない!?」——そんな想像を掻き立てるほど、1994年大会は過酷な気候と長距離移動の連続だった。前篇では、死闘となった決勝戦の記憶とともに、選手たちを苦しめた「暑さの罠」を振り返る。
■死闘となった「32年前」の決勝
ワールドカップ開幕が近づいてきたせいか、1994年のアメリカ・ワールドカップの映像を見る機会も増えているようです。
ロサンゼルス近郊パサデナにある「ローズボウル」での決勝戦では、ブラジルとイタリアが120分間戦ってスコアレスドロー。PK戦ではイタリアの攻守の要、フランコ・バレージとロベルト・バッジョらが失敗してブラジルが24年ぶりの優勝に輝き、キャプテンのドゥンガがトロフィーを掲げました。
イタリアは大会2戦目(ノルウェー戦)で世界最高のDF(リベロ)だったバレージが負傷したものの、バレージは帰国せずにニューヨークで内視鏡手術を受けて復帰のためのリハビリに励みました。チームが決勝に進出しなければ復帰は間に合わないという状況で、それ(決勝進出)を信じて復帰のために努力を重ねたのです。
そして、ついに決勝戦でバレージが復帰。従って、スコアレスドローはイタリアにとってはシナリオ通りだったのでしょう。ブラジルは、バレージが統率するイタリアの守備をどうしても崩し切れなかったのです。
しかし、バレージにとっては復帰初戦。そのせいで疲労が溜まっていたのでしょう。PK戦の1本目を外してしまいました。












