■日本サッカーの「頂点」から「下部組織」への転落

 さて、今年の関東大学リーグは「第100回」と銘打っている。

 1925年1月に開催された「東京ア式蹴球コレッジ・リーグ」(早稲田大学が優勝)から数えて、今年のリーグが100回目に当たるのである。

 1993年に開幕したJリーグは、昨年のシーズンが33回目のリーグ戦だったから、大学リーグはその3倍の歴史を誇っているのである。

 それより前の1922年にも東京帝国大学(現、東京大学)、早稲田高等学院(現、早稲田大学)、東京商科大学(商大=現、一橋大学)、東京高等師範学校(現、筑波大学)の4チームによる「専門学校蹴球リーグ戦」が開催されて東京高師が優勝したのだが、この大会は第1回だけで消滅してしまい、改めて1925年に1部、2部各6校ずつの「東京ア式蹴球コレッジ・リーグ」が開催されたのだ。

 当時世界最高峰だったイングランドのフットボール・リーグと同じく、勝点方式(勝利=勝点2、引き分け=勝点1)で争われ、同勝点の場合は得失点率(得点÷失点)で順位を決めた。

 1920年代から1960年代前半まで、日本サッカー界の中心は大学チームだった。たとえば、1936年のベルリン・オリンピック1回戦で強豪スウェーデン相手に逆転勝ちした日本代表は、早稲田大学を中心としたチームだった。

 従って、大学リーグは日本のトップリーグであり、国立競技場の前身である明治神宮外苑競技場に多くの観客を集めることもあった。そして、関東大学リーグと関西学生リーグの王者同士が顔を合わせる「東西王座決定戦」こそが“真の日本一”を決める大会と認識されていたのである。

 もちろん、全日本選手権大会(現在の天皇杯)はあったのだが、実力ナンバーワンはやはり大学リーグの優勝チームと考えられていたのだ。

 今でも、日本の最強チームはリーグ戦(J1リーグ)の優勝チームであって、カップ戦(天皇杯)の勝者ではない。世界中、どこの国でも、リーグ戦の王者こそがナンバーワン・チームと見なされており、カップ戦では主力を休ませてターンオーバーを実施することも珍しくない。

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