■なぜモンゴル軍は博多を目指したのか

 13世紀(1274年と81年)にモンゴル帝国が日本に攻めてきた「元寇」という事件がありました。モンゴル軍は砂漠やサバンナを疾駆した騎馬民族ですから渡海攻撃には不向きなので、実際に日本に攻めて来たのは元の支配下にあった高麗や元に滅ぼされた中国南部の宋の人たちだったようですが、とにかく彼らは対馬、壱岐を経て九州北部の博多湾周辺に攻め込んできて、そこで鎌倉幕府軍と地元豪族たちの奮戦の前に撃退されてしまいました。

 これも、大国が“アウェイの戦い”で敗れた典型的な例の一つです。

 しかし、彼らはなんでわざわざ博多に上陸しようとしたのでしょうか? 博多は古代から大宰府が置かれていた場所で、日本軍が大規模な軍事施設を建設して待ち構えていたのです。

 僕は不思議だったのです。「日本軍が手薄な違う場所に上陸して、博多なんか無視して瀬戸内海を通って京都方面に攻め込めばよかったんじゃないか?」と思っていました。

 だが、いつだったか、北九州での試合を観るため福岡空港から電車で小倉駅に向かっていたとき、周囲の景色を見ていて疑問が解消しました。博多から北九州市の間の海岸線近くには小さな山々が連なっていたのです。

 つまり、平地が少ないから大量の兵員を上陸させることができない。それで、大きな平地があって、海が穏やかな博多湾に上陸するしかなかったんでしょう。

つづく

 

(2)へ続く
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