■「さすが」だった南米のパリ

 国際試合だと、スタジアムではなくサッカー協会のオフィスに出向いてADカードをもらっておくという方式の国もありました。

 1993年のワールドカップ南米予選アルゼンチン対ペルー戦を観戦に行ったときがそうでした。試合はリーベルの本拠地エスタディオ・モヌメンタルが会場でしたが、ADカードは市内の国会議事堂そばのアルゼンチン協会(AFA)に取りにこいとあったので、行ってみました。

 ブエノスアイレスというのは、アルゼンチンが経済大国だった1920年代に建設されたビルが立ち並んでいる都市で「南米のパリ」と呼ばれています。AFAのビルもそんなクラシカルな建物でしたが、「ADカードをもらいに来た」と言うと2階の部屋に通されました。

 人が大勢働いているオフィスではなく、お偉いさんの個室でした。実際、年配の恰幅の良い紳士が現われ、まるで面接試験のようにいくつか質問を受けてから、おもむろに「よかろう」と言ってデスクの引き出しからADカードを取り出してくれました。

 アルゼンチンでは協会でもクラブでも、社会的地位が高い人が働いていることがあります(ボカ・ジュニアーズの会長をインタビューしたことがありましたが、実業家だったその会長は、その後アルゼンチン共和国大統領に就任したマウリシオ・マクリでした)。AFAのアクレディ担当者も、本当に偉そうな紳士でした。

 いずれにしても、Jリーグの報道受付のあり方は考え直したほうがいいのではないでしょうか?

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