
サッカー日本代表はワールドカップ予選を終えたが、時計は動き続けている。7月には東アジアのライバルとの戦いが待っているのだ。そのE-1選手権は、日本代表にとって、どのような意味があり、またどのように活用すべきか。サッカージャーナリスト後藤健生が考察する!
■韓国、中国、北朝鮮に「3連敗」して最下位
東アジアレベルの大会としては、1990年に「ダイナスティーカップ(中国語名「王朝盃」)が始まり、1998年大会まで4回開催された。
第1回ダイナスティーカップが中国・北京で開催されたのは、Jリーグ開幕を3年後に控えた1990年夏のことだったが、日本代表は韓国、中国、北朝鮮に3連敗して最下位に終わった。しかも、3試合戦って無得点という惨敗だった。
しかし、1992年の第2回大会で日本は優勝を果たす。
同年春に日本代表史上初めての外国人監督としてオランダ人のハンス・オフトが就任。戦術的規律を求めるオフト監督と、それに反発する中心選手のラモス瑠偉との間に確執もあったものの、ダイナスティーカップの優勝によってオフト監督の威信が確立され、それが同年秋の広島アジアカップでの優勝、さらに翌1993年のワールドカップ予選での躍進につながった(最後は「ドーハの悲劇」で幕を閉じたが)。
前回に続いて北京で開かれた第2回大会では、初戦で韓国と引き分けた後、中国、北朝鮮に勝利して首位でリーグ戦を終えた日本は、2位韓国との決勝戦に臨み、2対2で引き分けた後のPK戦で勝利して優勝。日本が国際大会で優勝したのは、1930年の東アジア選手権以来のことだった。
ただ、1930年が「同位優勝」だったのと同じく、第2回ダイナスティーカップでも韓国とは2引き分けに終わっている。しかし、当時の感覚で言えば、韓国と2連続引き分けは日本にとって大健闘と言わざるを得なかった。この大会はテレビの実況中継はなく(後日、録画中継があった)、新聞に載った小さな記事を見て、「優勝」という結果に驚いたものだった。