■大スターの「自伝」を執筆
帰国すると、ブライアンはロンドンに出て、「ロイター」通信社を訪ねた。彼の手元には、「コリエーレ・デロ・スポルト」紙の特派員の身分証があった。タイミング良く、「ロイター」はサッカーのコラムニストを探しているところだった。ブライアンは週に一度コラムを書くことになった。
学校に戻ると、彼はアーセナルの大スターであったクリフ・バスティンを訪ね、彼の伝記を書かせてほしいと頼んだ。バスティンは1929年から1947年までアーセナルでプレーし、左ウイングとして350試合に出場して150ゴールを記録した選手である。150ゴールは2006年にティエリ・アンリに破られるまでクラブ記録だった。聴覚に障害があったために兵役は免れたが、20代の終わりから30代のはじめというサッカー選手にとっての「黄金期」を戦争で失い、右ひざの故障もあって1947年に35歳で引退していた。
ブライアンはまだ18歳だった。しかしバスティンは了承し、翌1950年に『クリフ・バスティンの回想』として出版された。ただし本は「自伝」ということになっており、グランヴィルの名前はない。