■『ワールド・サッカー』創刊
ただ、残念ながら、ブライアンはチャーターハウス校のサッカーチームではレギュラーになれず、法律を学ぶために希望していたオックスフォード大学への奨学金も得ることができなかった。だが法律家への夢は捨てきることができなかった。チャーターハウス校を卒業すると、彼は他の大学へは進まず、ロンドンの法律事務所で働くことにした。
やがて彼はこの仕事がまったく自分に向いていないことを思い知る。結核にかかったこともあり、退職し、クリフ・バスティンの本の出版を機に父の援助を受けて執筆活動にまい進する。
そして1958年、『サンデー・タイムズ』紙の依頼を受けてスウェーデンで開催されたワールドカップを取材して記事を書き、以後は、『サンデー・タイムズ』のほか、『ザ・ピープル』紙、『ザ・タイムズ』紙などで健筆をふるい、1960年に『ワールド・サッカー』誌が創刊されるとその主要なライターにもなった。『サンデー・タイムズ』紙と『ワールド・サッカー』誌での執筆は、半世紀以上続いた。