後藤健生の「蹴球放浪記」第264回「半密室内での一期一会」の巻(2)初ワールドカップで遭遇した「ベルリンの壁」超えドイツ人2人組、個室で「一緒になった」50代女性と「真似された」10代青年の画像
東ドイツ内を列車で通行するためのトランジット・ビザ。提供/後藤健生

 ヨーロッパと日本では、人々のコミュニケーションの取り方が「まったく違う」と言うのは、蹴球放浪家・後藤健生。なかでも、その違いが大きく出るのが列車内だとか。どういうことか。

■戸惑っていた「10代」の男の子

 ロシア・ワールドカップのとき、日本対ポーランドの“奇妙な”試合を観た後、ラウンド16の最初の試合(フランス対アルゼンチン)があるカザンまで夜行列車で移動しました。23時10分発、22時43分着。23時間半の長旅です。

 このときもコンパートメント式(仕切りのある個室)の簡易寝台で、途中の駅まで十数時間一緒だったのが、50歳台後半くらいの女性でした。たどたどしい英語でコミュニケーションを取ったのですが、お菓子や果物などをもらい、家族のことや教師としてのキャリアのこととかを話をしてくれ、おかげで退屈な時間をやり過ごすことができました。

 あるとき、フランスのパリからイタリアのトリノまで夜行列車を利用したことがあります。「クシェット」と呼ばれる簡易寝台です。

 出発が夜だったので車内はすでに座席がベッドになっていましたが、簡易寝台ではリネン類はビニール袋に入っているのを自分で取り出してベッドメークをしなければなりません。それを終えてからゆっくり寛ぎます。

 そのとき、同じコンパートメントには若い10代のフランス人の男の子がいましたが、「クシェット」が初めてだったらしくて戸惑っていました。そのうち僕がやることを全部まねするようになって、夜中の国境越えのときもパスポート検査のやり方を教えてあげ、とても頼りにされてしまったこともありました(シェンゲン協定によってフランス・イタリア間の国境検査が廃止された20世紀末頃より少し前の話です)。

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