■32年前との違いは「日本代表」
1994年、32年前のアメリカ大会は、出場24チーム、6グループでグループステージが行われ、使われた会場は9都市だった。東海岸に北からボストン、ニューヨーク、ワシントンDC、そしてオーランド(マイアミ州)、中部では、デトロイト、シカゴ、そしてダラス、西海岸では、サンフランシスコとロサンゼルスだった。
私はシカゴで開幕の「ドイツ×ボリビア」を取材した後、グループステージは主として東海岸で試合を見た。ニューヨーク、ワシントンDC、ボストン、さらには「中部」のデトロイトやシカゴを飛び回った。そして大会の後半、ノックアウトステージに入ると、西海岸に移動した。決勝戦はロサンゼルスのローズボウルスタジアムだった。
会場間の移動はすべて飛行機だった。ネットで予約できる時代ではないから、予定に従って基本的に日本国内の旅行代理店で航空券を購入し、予約を入れてもらった。空港からの移動、空港からの移動は、すべてタクシーだった。公共交通機関もあったかもしれないが、基本的に朝移動して次の試合会場都市に向かい、ホテルに荷物を放り投げてスタジアムに直行、取材を終わって帰ってくると1泊し、翌朝また次の取材地に向かうという毎日だった。
だが、その大会には日本代表が出場していなかったから、開幕から決勝まで、事前に日程を決め、移動のための飛行機を予約し、そしてホテルを押さえることができた。しかし、「日本を追う」となったら、ノックアウトステージ以降は日程が決まってからすべてを手配しなければならない。
しかも、カナダのトロントでは「ラウンド32」で試合が終わるが、バンクーバーでは「ラウンド16」まで試合がある。メキシコでは、グアダラハラがグループステージで試合が終了、モンテレイは「ラウンド32」まで、メキシコシティは「ラウンド16」まで試合が続く。チームを追って、たくさんのサポーターと報道陣が北米大陸をさまようことになる。