■パブリックスクールの「授業の一環」に
フットボールは、キリスト教の「告解の火曜日」という祝日に行われます。たいていは、2月。寒い時期に村人たちがこぞって参加するお祭りでした。都会に働きに出ている人たちも、この祭りのために故郷に帰ってきます。そして、村人たちは、川の北側と南側とか、教会の教区ごとに分かれて、勇猛果敢にボールを奪い合うのです。
18世紀頃になると、私有地の概念が確立されたため、街中を暴れまわるフットボールを続けることが難しくなって、次第に民俗フットボールは行われなくなってしまいました。
その代わりに、寄宿舎制のパブリックスクールで授業の一環としてフットボールが取り入れられます。「パブリックスクール」というのは、貴族や資本家階級などの上流階級の子弟が通う学校でした。
学校教育の一環ですから、ルールも定められます。しかし、学校の校庭の状態(芝生か、石畳か。広いか狭いか……等々)によって、ルールはバラバラでした。