■チャンピオンズカップ「優勝」に貢献
地元の「フセイン・デイ」というクラブでプレーしていた(1982年ワールドカップ時はこのクラブ所属)が、24歳のときにフランスのラシン・クラブ・パリ(サッカー日本代表でフィリップ・トルシエ監督の通訳として知られたフローラン・ダバディの祖父がオーナーだったクラブ)に移籍、同じフランスのツールへの貸し出しを経て1985年にポルトガルの強豪FCポルトに移籍した。1987年の欧州チャンピオンズカップ(現在のUEFAチャンピオンズリーグ)の決勝戦では、バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)を相手にヒールキックで同点ゴールを決め、逆転の決勝ゴールのときもアシストする活躍を見せて注目された。
当時アフリカ屈指の戦力を誇っていたアルジェリア代表の中心選手として、1982年(スペイン)と1986年(メキシコ)の両ワールドカップにも出場、スペイン大会では初戦で西ドイツを2-1で下すセンセーショナルな試合で先制点を決めている。