大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第157回【神戸の左SB初瀬亮が選んだ「ビッグ・ウェンズデイ」】(3)忘れられない「名スタジアム」の大惨事、クラブ初の日本人選手が「栄光の時代」再現への画像
イングランドの名スタジアムのひとつとして知られるシェフィールドの「ヒルズブラ・スタジアム」。4万人収容、「シェフィールド・ウェンズデイ」は、この地で125年を超える歴史を積み重ねてきた。🄫Y.Osumi

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、ヴィッセル神戸の「不動の左サイドバック」が新天地に選んだイングランド名門の「知られざる一面」——。

■新スタジアムは「国際試合」の舞台に

 さて、「ウェンズデイ」の話である。19世紀の間に次第に力をつけ、フットボール・リーグの2部まで上がってきたウェンズデイだったが、スタジアムはずっと借り物で、恒久的な「ホーム」を持っていなかった。しかし、1899年、それまで使っていたスタジアムが鉄道駅をつくるために壊されることになり、市の北西部に土地を求め、自前のスタジアムを建設することになる。新スタジアムはわずか半年で完成する。それが今日「ヒルズブラ」と呼ばれる、イングランドの名スタジアムのひとつである。

 当初はこの地域の名をとって「アウラートン・スタジアム」と呼ばれていた。現在もクラブのエンブレムに「アウル(フクロウ)」がつけられ、チームニックネームが「アウルズ」であるのは、このためだ。この名称は、周囲の地区が宅地開発されたことで1914年に「ヒルズブラ」と改められた。

 新スタジアムの誕生とともにウェンズデイはトップリーグに昇格、1903年、1904年とリーグ制覇を達成、黄金時代を迎える。そして、ヒルズブラもどんどん改装されて、イングランドの名スタジアムのひとつとなる。まさに「ビッグ・ウェンズデイ」となったのだ。

 ヒルズブラはイングランド代表の国際試合の舞台ともなり、1920年のスコットランド戦(ホームインターナショナル)、1962年のフランス戦(欧州選手権予選)、1973年の北アイルランド戦(ワールドカップ予選)が行われた。

 何よりの名誉は、1966年のワールドカップ会場のひとつに選ばれたことだっただろう。グループステージの西ドイツ対スイス、スペイン対スイス、アルゼンチン対スイス、そして準々決勝の西ドイツ対ウルグアイの4試合の舞台となったのである。1996年には欧州選手権の会場となり、グループリーグのデンマークの3試合がすべてここで行われた。

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