■「最後の切り札」が帰国して復帰も…

 ペロンは1955年にスペインに亡命。“過去の人”かと思われていましたが、政治的混乱が続くアルゼンチンでは1973年の大統領選挙でペロニスタのエクトール・カンポラが当選。その後も混乱が収まらなかったため、最後の切り札としてペロンが帰国して大統領に復帰したのです。

 しかし、そのわずか1年後の1974年7月1日に心臓発作でペロンは病死しました。78歳でした。そして、副大統領だったペロンの2人目の妻、イサベルが大統領に就任。しかし、イサベルはエビータのような人気もなく、混乱はさらに深まります。

 ワールドカップで半旗が掲げられ、ペロンの死が注目を集めたのはアルゼンチンが4年後の1978年大会の開催国だったからです。

 イサベル大統領が強権的な政治を行い、左翼ゲリラが活動するアルゼンチンで、はたして無事に大会が開催されるのでしょうか……。

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