2024年8月某日、フランス・ナント市内にある筆者のパソコンのZOOMは、宮城県仙台市とつながっていた。その画面に映し出されていたのは、ベガルタ仙台を率いる森山佳郎監督。当時、連日取材していたパリ五輪の現場で感じるような熱さを画面越しに感じるほど、発せられる言葉も姿勢も強かった。
仙台を強くしたい――。
その一点に、森山監督の気持ちと体と頭のすべてが向けられていた。宮城県内で休めるポイントやお気に入りの店などはできたのか。そんなことを聞けば、返ってきたのはあまりにストイックな言葉。
「今は単身赴任をしているんですが、お昼はクラブハウスのケータリングがものすごくおいしくて、ホントに助かっています。夜は近くのスーパーの半額セールに行くか、近所の居酒屋にたま~に顔を出すくらいで、ほとんど家にいます。休日も家から一歩も出ずに映像分析をしている状況。お金も使わないし、練習場と家を行き来しているだけで。JFAの頃とは真逆の生活になりました(笑)」
言葉も口調も柔らかく、表情は柔和。話す内容とのギャップは、とても大きい。
驚きながらうなずく筆者に指揮官は、さらに、「やっぱり“仙台のためにやれることはないか”をつねに考えているし、強い情熱を持って自チームや対戦相手の映像をくまなく見たり、ミーティングのための映像や資料を編集しています。世界のサッカーを見る時間も減りましたけど、やることは本当にたくさんある。今は充実していますよ」と続けている。24時間、黄金のエンブレムを見つめる生活に自身を投じていたことは明白だった。