サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、日本サッカー界で起きた「本物の奇跡」と、その舞台裏、そして今季限りでの引退を発表した、その立役者について――。
■世界に「手が届かなかった」時代
このオリンピック出場権獲得の意味を、若いサッカーファンに理解してもらうのは難しいかもしれない。日本のサッカーは、1968年のメキシコ・オリンピックで銅メダルを獲得して以来、オリンピックでもワールドカップでもアジア予選で負け続け、「世界への道」を断たれていた。
わずかに1979年に、誕生して第2回目の「ワールドユース(現在のFIFA U-20ワールドカップ)」が日本開催となったために、そこで3試合戦った経験はあったものの、1968年からこの1996年まで、「世界」ははるかに手のとどかないところにあったのだ。
Jリーグの誕生とともに日本代表チームは急激に力をつけ、1992年秋にはアジアカップで初優勝、翌1993年にはワールドカップまであと少しまで迫ったが、「ドーハの悲劇」により出場権獲得はならず、「世界」はまだ遠いところにあった。
ただ、1995年にU-20日本代表が初めてアジア予選を突破してカタールで開催された「ワールドユース」に出場、準々決勝に進出してブラジルに1-2で敗れたものの、貴重な体験を積んできた。このチームには、後にU-23日本代表でアトランタ・オリンピックに出場するGK下田崇、DF秋葉忠宏、松田直樹、MF中田英寿がいた。