Jリーグの誕生とともに劇的な進化を遂げてきた日本サッカー。一方で、プロリーグではないものの、重要な部分を担ってきた「戦いの舞台」がある。日本のサッカーの成長を示す「JFLの現在地」を、サッカージャーナリスト後藤健生が探る。
■最も熱いダービーとなっていた「天竜川決戦」
静岡県浜松市にあるHonda FCは、JSL時代にはお隣の磐田市にあるヤマハ発動機とライバル関係にあり、両者の対決は「天竜川決戦」として親しまれていた。
そのヤマハは「ジュビロ磐田」と名前を変えて、Jリーグには2年目から参戦。それに対して、Honda FCはJリーグには加盟せず、企業チームとして「最強のアマチュア」としてJFLに君臨。Jリーグ加盟を目指すクラブの前に立ちはだかり続けた。
ジュビロ磐田は、Jリーグの中では非常に企業色が強いクラブであり(スタジアムも、ヤマハの敷地内にある)、アマチュアを選択したHonda FCとの隔たりは小さい。もし、本田技研もJリーグ入りを選択していたら、Jリーグで最も熱いダービーとなっていたことだろう。