■フランス中の期待が高まる名門の「復権」
1959年の欧州チャンピオンズカップ後には、コパが戻って1968年まで9シーズンプレーした。しかし、名監督のバトーは1963年を最後にクラブを去り、その後はグルノーブル、サンテチエンヌ、アビニョン、ニース、マルセイユで指揮を執った。サンテチエンヌではリーグアン3連覇(1968~1970)という快挙も成し遂げた。だが、人々が強烈に覚えているのは、やはりスタッド・ドゥ・ランスでの5回の優勝と、1958年ワールドカップでの心のすくような試合の数々だった。
バトーを失ったスタッド・ドゥ・ランスは、1964年には2部に降格、すぐにリーグアンに戻ったものの、上位進出はならず、1978年に再降格、1992年代には赤字が続いてプロ資格まで失った。
しかし、名門クラブをなくしてはならないと2002年にプロ資格を取り戻し、徐々に成績を上げて2012年には34年ぶりにリーグアンに復帰した、その後2部落ちも経験したが、2018年にリーグアンに戻ると、以後は順調に中位をキープ。そして今年、ついに上位に上がるのではないかと、市民だけでなくフランス中の期待が高まっている。
クラブには歴史がある。しかし、スタッド・ドゥ・ランスの歴史は、ランスというシャンパーニュ地方の人口18万人の町にとどまらず、全フランスのサッカーの歴史も背負っている。選手たちは目の前の試合に勝つことに集中しているだろうが、このクラブが背負ってきた歴史の重さを理解すれば、意欲はさらに高まるのではないか。
スタッド・ドゥ・ランスの新しい歴史の担い手が、胸のすくようなプレーやゴールを見せている2人の日本人アタッカー、伊東純也やと中村敬斗であるならば、日本のサッカーにとって大きな誇りだ。