■攻撃に次ぐ攻撃のサッカーで「劣等感」払拭

 それだけではない。このクラブは、1958年にスウェーデンで開催されたワールドカップで3位になったフランス代表の中心をなし、6試合で23ゴールという得点力を示した。もちろん、3位という好成績も初めてのものだったし、何より攻撃に次ぐ攻撃のサッカーが、それまでイングランド、ドイツ、イタリア、スペインだけでなく、ベルギーなどにも劣等感を抱いていたフランスのサッカーに大きな誇りをもたらした。

 その後、1960年代から1970年代のなかばにかけて、フランスのサッカーは長い低迷期に入る。1970年代後半にミシェル・プラティニを中心とする新しい世代が台頭して、1980年代の「中興」を成し遂げ、1998年には自国開催のワールドカップで初優勝を飾り、世界のリーダーの一角を占めるようになるのだが、それでも、オールドファンは1950年代の「スタッド・ドゥ・ランス」と1958年の代表チームのことを語り、親たちからそうした話を聞かされて育った若い世代も、「ランス」の名前を、そうした誇りとともに思い浮かべるのだ。

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