■尾崎加寿夫、風間八宏が「欧州クラブ」へ

 その言葉を、選手たちは裏切らなかった。18人のうち、なんと15人が日本代表となった。14年後の1993年にJリーグが始まったとき、7人もの選手がピッチに立ち、経験を生かしてチームを牽引した。引退後、指導者になった人も、18人中15人。うち5人がJリーグの監督となった。いずれも、驚くべき数字と言わなければならない。

 ワールドユースの数年後、尾崎加寿夫は日本代表でもエース格になっていたが、1983年にドイツに渡り、ビーレフェルトなどで活躍した。奥寺康彦が1977年からケルンやブレーメンで活躍していたが、まだ日本人選手が普通に欧州のクラブに移籍する時代ではなかった。移籍時にはトラブルもあった。しかし、尾崎の胸には、「世界に羽ばたけ」という松本の言葉があった。

 風間八宏は、清水商業高から筑波大へ進み、大学時代に日本代表となったが、卒業後の1984年、ドイツに渡り、5年間プレーした。この時代に、18人のユース代表から2人もの選手が欧州にチャレンジしたのは驚きと言うしかない。

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