A代表、Jリーグ、そして欧州へ…松本育夫の言葉を胸に世界へと羽ばたいた風間八宏たち【日本サッカー界に革命を起こした「1979年のスーパースター」と日本ユース代表】(6)の画像
現在、南葛SCを率いる風間八宏。強い川崎フロンターレの礎を築いたことでも知られる。撮影/渡辺航滋(Sony α‐1)

 スポーツ競技が人気となり、発展するか否かは、その競技を代表するスターの存在抜きには考えられない。バスケットボールのマイケル・ジョーダンしかり、ゴルフのタイガー・ウッズしかり、ベースボールの大谷翔平しかり…。現在、日本の人々がサッカーに親しんでいるのは、あるスーパースターと深い関係があると指摘するのは、サッカージャーナリストの大住良之だ。その見つめる先は45年前、1979年に日本で開かれた世界大会「ワールドユース」。この大会で躍動した「神の子」と、彼のプレーに魅了された人々、そして、各国の強豪と戦った日本ユース代表が日本サッカー界にもたらしたものとは?

■18人の選手たちは「完全にひとつだった」

 松本育夫監督は、「中1日」で行われた3試合を、ほぼメンバーを変えずに戦い抜いた。先発の変更は、第2戦のFWに柱谷ではなく鈴木を使ったことだけだった。交代出場も、第1戦で柱谷幸一から鈴木淳、第2戦で高橋貞洋から柱谷、風間八宏から金子久(古河)の3回だけ。第3戦は交代なしだった。本来センターバックで、柳下正明とスイーパーのポジションを争っていた金子は、最後のパワープレーのための投入だった。

 18人の選手のうち、GK山口悟(三菱)、DF杉山誠(東京農大)、MF宮内聡(古河)、MF名取篤(帝京高)、そしてMF猿沢茂(大阪体育大)の5人は、出場の機会がなかった。しかし、1年半の多くを検見川の合宿所でともに過ごし、過酷なトレーニングにも耐え抜いた18人の選手たちは、完全にひとつだった。

 18人のメンバー発表は、8月10日、「第13次キャンプ」の徳島合宿最終日だった。最後の「追い込み合宿」であり、選手たちは「地獄の特訓」と表現した合宿だった。20人のメンバーが呼ばれていたが、この日が大会登録の締め切り日で、松本監督は2人の選手を外さなければならなかった。外されたのは、MF熊谷義一とFW樋口士郎、ともに日本サッカーリーグ2部の本田の選手だった。

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