スポーツ競技が人気となり、発展するか否かは、その競技を代表するスターの存在抜きには考えられない。バスケットボールのマイケル・ジョーダンしかり、ゴルフのタイガー・ウッズしかり、ベースボールの大谷翔平しかり…。現在、日本の人々がサッカーに親しんでいるのは、あるスーパースターと深い関係があると指摘するのは、サッカージャーナリストの大住良之だ。その見つめる先は45年前、1979年に日本で開かれた世界大会「ワールドユース」。この大会で躍動した「神の子」と、彼のプレーに魅了された人々、そして、各国の強豪と戦った日本ユース代表が日本サッカー界にもたらしたものとは?
■初戦の相手は「大半が若手プロ」のスペイン
日本のサッカーでは1964年の東京オリンピック前の数年間と比較される長期的・集中的な強化で、最終的に選ばれたのは、大学生9人、日本リーグチーム所属選手6人、そして高校生3人、計18人だった。
8月25日、初戦の相手はスペイン。大半が「若手プロ」である。日本の先発は、GK鈴木康仁(ヤンマー)、DFは柳下正明(東京農大)をスイーパーに置き、その前に右から越田剛史(この年に筑波大に進学)、中本邦治(中央大)、沖宗敏彦(富士通)が並ぶ。中盤は、いまでいう「アンカー」に田中真二(中央大)、その前には、右に水沼貴史(法政大)、左に風間八宏(清水商業高)、「トップ下」に尾崎加寿夫(三菱)。そしてFWには、頑強な柱谷幸一とスピードの高橋貞洋の国士舘大コンビが並んだ。
3万人の大声援に奮い立った日本は立ち上がりから攻勢をかけ、風間のテクニックなどでチャンスをつくる。だが越田、尾崎らのシュートはわずかに決まらない。後半立ち上がりにも風間のシュートがわずかに切れる場面があったが、疲労の色が見えてきた後半17分、マヌエル・スニガのミドルシュートが日本選手に当たって角度が変わり、ゴールに吸い込まれた。そして、この1点で0-1の敗戦に終わった。