■皮切りはアメリカ「コカコーラ」との契約

 ではなぜ、第2回「ワールドユース」のような世界大会がこの時期に日本で開催されることになったのだろうか。

 大会の「生みの親」はジョアン・アベランジェ、1974年から1998年年まで、24年間にわたってFIFA会長を務めたブラジル人である。1974年の会長選挙で現職のサー・スタンリー・ラウス(イングランド)と争ったアベランジェは、「サッカーを世界のものとする」ことを公約として当選を果たした。それまでの世界のサッカーは、欧州が圧倒的に主導権を握り、強豪国を持つ南米はリスペクトされていたものの、その他の地域(アフリカ、アジア、北中米カリブ海、オセアニア)はまったく視野に入っていなかったからだ。

 アベランジェはその資金を得るためにコマーシャリズムと結びつくことを決断。皮切りが、アメリカの飲料メーカー「コカコーラ」との契約だった。1976年5月13日、ロンドンで、FIFAは「世界のサッカー発展プログラム」で協力しあう契約をコカコーラと結んだ。そしてその資金を投入して最初に手をつけられたのが、「ワールドユース」の開催だった。

 ワールドカップでいきなり欧州の強豪と対戦しても、他地域の選手たちは対応できない。南米の選手たちでさえそうだった。そこで若い年代の世界大会を創設し、そこでの経験をワールカップで生かそうという考えだった。

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