【日本サッカー界に革命を起こした「1979年のスーパースター」と日本ユース代表】(2)ソ連を突き放す後半35分のフリーキックと国立競技場の若いファン、FIFAが懸けた日本の力 (4/4ページ) 1ページ目から読む 大住良之/Yoshiyuki OSUMI 2024.08.27 【画像】「楽しむ」がモットー!現役最後の試合でも「笑顔でピッチを駆ける」和製マラドーナ 古巣・浦和レッズとのJ1最終戦、現役最後の試合で先発出場した小野伸二。「楽しむ」がモットーの彼は、最後まで笑顔でボールを追いかけた。撮影/原壮史(Sony α1使用) 【この画像の記事に戻る】 (3)へ続く 1 2 3 4 おおすみよしゆき 大住良之 1951年神奈川県横須賀市生まれ。中学1年生のときに校内誌の編集部にはいり、中学3年からはかけもちでサッカー部でも活動。大学卒業4年生の1973年から『サッカー・マガジン』編集部で働き、1982年以降はトヨタカップなどのチーム取材で欧州と南米の強豪クラブを取材。1988年にフリーランスとなる。以後は日本代表とJリーグの取材が中心となるが、ワールドカップは1974年ドイツ大会から、オリンピックは1996年から取材。『東京新聞』や「日経電子版」などコラムを書く一方、1984年以来東京の女子サッカークラブ「FC PAF」の監督を務める。JFA公認C級コーチ、サッカー4級審判員。 日本サッカー界に革命を起こした「1979年のスーパースター」と日本ユース代表 木村和司や前園真聖も夢中になった「18歳の神の子」初の世界大会での超絶プレー【日本サッカー界に革命を起こした「1979年のスーパースター」と日本ユース代表】(1) 北朝鮮の「出場辞退」と広島の「開催返上」を吹き飛ばしたMVPと得点王のコンビプレー【日本サッカー界に革命を起こした「1979年のスーパースター」と日本ユース代表】(3) 監督に選ばれた「メキシコ銅」松本育夫が振り返る「血の小便」と「意識改革」【日本サッカー界に革命を起こした「1979年のスーパースター」と日本ユース代表】(4) A代表、Jリーグ、そして欧州へ…松本育夫の言葉を胸に世界へと羽ばたいた風間八宏たち【日本サッカー界に革命を起こした「1979年のスーパースター」と日本ユース代表】(6) 日本代表の中核を担った水沼貴史ら「1979年組」とJリーグ開幕前に存在した「強力サポーター」【日本サッカー界に革命を起こした「1979年のスーパースター」と日本ユース代表】(7) 関連記事 「惹かれあっているんですね」松山空港で偶然出会った“芸人×監督”の高校サッカー部“先輩後輩”ツーショットが話題!「市船魂!」「羨ましい偶然が多いな〜」の声 サッカー批評編集部 直撃インタビュー(2)日本サッカー協会・宮本恒靖会長が震えたマラドーナと中学3年生の中田英寿、ガンバ大阪監督の言葉「初めて意識したプロ選手の先にある監督」 大住良之 後藤健生の「蹴球放浪記」第215回【「海外旅行は言葉ができなくても大丈夫?」の巻】(2)ドイツ「乗車ホーム」変更とオランダ「田舎駅」の奇跡 後藤健生 後藤健生の「蹴球放浪記」第215回【「海外旅行は言葉ができなくても大丈夫?」の巻】(1)中国名物「ゲート」チェンジ、オランダ「定刻前」発車にご用心! 後藤健生