後藤健生の「蹴球放浪記」第221回【ソウルで出会った「7つの顔を持つ女」の巻】(2)三浦知良との「フランスW杯予選」の遭遇とスッチー、社長、女優を経て銀座のママへの画像
フランス・ワールドカップ予選の韓日戦の一般入場券。提供/後藤健生

 蹴球放浪家・後藤健生は世界中に知己( 知り合い、知人、親友の意味も)を持つ。その再会もまた、サッカー取材の楽しみのひとつである。しかも再会した人物が、会うたびに変化していくとなれば、また楽しみも増すというものだ。

■シュトゥットガルト戦「取材パス」所持

 1996年6月1日には、FIFA理事会で2002年ワールドカップ開催国を決める投票が行われることになっており、僕は“その瞬間”をソウルで迎えようと思って韓国に向かいました。5月29日に博多の森球技場(現、ベスト電器スタジアム)で日本とメキシコの試合があったので、それを見てからフェリーで韓国に向かいました。

 問題の6月1日には「2002年ワールドカップ誘致祈願国際蹴球大会」と称して、水原(スウォン)市の総合運動場で韓国代表対シュトゥットガルトの試合がありました。そのときにも、ハナさんは韓国協会から取材パスをもらっていて、僕の隣で試合を見ていました。もっとも、5月30日にはすでに「共同開催」が決まってしまっていたのですが……。

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