後藤健生の「蹴球放浪記」第220回 「南アフリカW杯でケンカに明け暮れた毎日」の巻(1)「治安が悪い」ヨハネスブルグ都市部をグルグル、「銃を持った」ガードマンが24時間警戒する宿から試合会場への画像
「ビッグツリーB&B(大木旅館)」のロゴ。提供/後藤健生

 2010年のワールドカップを前に、日本のジャーナリストたちは揺れていた。治安最悪と言われる南アフリカでの取材に、恐怖を覚えていたのだ。蹴球放浪家・後藤健生も当然、彼の地の取材におもむいた。そして、敢然と戦ったのだ。

■南アフリカW杯で1か月滞在した「大木旅館」

 温厚な性格の僕は、他人とケンカなんかすることは滅多にありません。

 そんな僕が、毎日のようにケンカに明け暮れていたのは、2010年の南アフリカ・ワールドカップのときでした。

 そのケンカの相手というのは、サッカー・コーチであり、ジャーナリストでもあるY浅健二さん……ではなく、彼が借りていたレンタカーについていたカーナビでした。

 成り行きを説明しておきましょう。

 ワールドカップ開催地だった南アフリカは、悪名高い「アパルトヘイト(人種隔離政策)」が終わり、ネルソン・マンデラ大統領の下で民主化されましたが、白人が経済を支配し、多くの黒人の生活環境は改善されないままの状態が続きました(もちろん、大金持ちになった黒人もたくさんいますが)。

 そして、南アフリカは治安が悪いことでも有名だったのです。

 だから、普通のワールドカップのように勝手に都心部に安宿を取って、電車やバスを乗り継いで国内を移動するというわけにはいきません。かといって、安心な地区にある高級ホテルに1か月も滞在したら、財政が破綻してしまいます。

 いろいろな情報を集めて最終的に選択したのが、郊外にある中間層向けの宿泊施設でした。

 南アフリカの首都プレトリアと最大都市ヨハネスブルグのちょうど中間にあるミッドランドという街の郊外にあった「ビッグツリーB&B」。ビッグツリーは「大きな木」ですから(本当に、敷地内に大きな木が立っていました)、僕たちは便宜的に「大木旅館」と呼んでいました。

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