後藤健生の「蹴球放浪記」第219回「大阪万博で黒豹と遭遇」の巻(1)来日した「ワールドカップ得点王」と「欧州チャンピオン」の画像
1970年大阪万博の入場券。提供/後藤健生

 来年、開催される大阪・関西万博を前に、蹴球放浪家・後藤健生は、ある思い出がよみがえった。万博の会場に、黒豹の呼び名で親しまれたポルトガルの英雄エウゼビオが降り立ったことがあるのだ。そうしたサプライズがあれば、来年の万博も盛り上がること間違いなしだが…。

■万博が「ビッグイベント」だった時代

 2025年には、大阪で万国博覧会(万博、正式名称は「2025年日本国際博覧会」)が開催されますが、開催半年前になっても一向に盛り上がらないようです。

 1970年に大阪府吹田市の千里丘陵で開かれた「日本万国博覧会」は、のべ6000万人を超える入場者を集める大盛況でした。高度経済成長の真っ只中にあった日本では、万博は日本が先進国の仲間入りをしたことを国民レベルで実感するビッグイベントでした。

 しかし、それから半世紀以上が経過し、日本という国は「先進国の仲間入り」をしたときのような高揚感とはほど遠く、万博は単なる税金の無駄遣いにしか見えません。

 そもそも、巨大構造物が建ち並ぶ万博というイベントは「重厚長大産業」が経済発展の花形だった19世紀から20世紀の工業化時代のもの。現代のテクノロジーの最先端は、目に見えないほど小さな半導体や形のないソフトウェアなのですから、万博的なイベントにはまったく相応しくありません。

 世界中のアスリートを1か所に集めて、各国のメダルの数を争うオリンピック競技大会が“20世紀の遺物”だとしたら、万博というのはさらに古い19世紀的な催しのように見えます。

 万博が最も輝いていたのは「クリスタルパレス(水晶宮)」(鉄とガラスでできた建造物)が人々の度肝を抜いた1951年のロンドン万博や、エッフェル塔が注目を集めた1889年のパリ万博の頃だったのではないでしょうか(プレミアリーグのクリスタルパレスFCは、万博終了後にクリスタルパレスが移設された地域のクラブ)。

 この頃は、万博は世界の先進国が、その経済力を見せつけ合うビッグイベントでした。

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