後藤健生の「蹴球放浪記」第216回「ソウルの空に中国国旗がひるがえった夜」の巻(2)日韓戦「初アウェー勝利」舞台裏と歴史が動いた「アジア大会」閉会式の画像
1986年のソウル・アジア大会閉会式の入場券。提供/後藤健生

 蹴球放浪家・後藤健生は、さまざまな国を歩いてきた。また、多くの歴史の転換点も目にしてきた。サッカーもまた、時代の変化を象徴することがあるのだ。

■韓国との定期戦で「0対3」の完敗

 僕が初めて韓国に行ったのは、1982年3月の第10回日韓(韓日)定期戦のときでした。毎年、東京とソウルで代表同士の試合と大学選抜同士の試合が行われた大会でした。

 ソウルの東大門運動場で行われた定期戦は、森孝慈監督率いる日本代表が韓国に0対3で完敗を喫してしまいました。スタンドも満員にはならず、何か拍子抜けするような試合でした。

 当時の日韓両国の実力では、アウェーで日本代表が勝てるとは誰も思っていませんでした。2年後、1984年の第12回定期戦で日本はアウェーで初めて韓国に勝利しましたが、このとき、韓国は事実上の2軍を出場させていたのでした。

 そのとき以来、僕はしょっちゅう韓国を訪れました。1986年にはアジア大会、1988年にはソウル・オリンピックもありました(1985年には北朝鮮にも行きました)。そして、いろいろな年代の韓国人と話をしました(当時は戦前の教育を受けた人が多く、年配の人は日本語が話せる人がたくさんいました)。

 そこで、僕が「ソ連や中国、北朝鮮に行ったことがある」と言うと、彼らは興味津々でどんな国だったか次々に質問を浴びせてきました。中国やソ連は地理的には韓国から近く、第2次世界大戦前には交流も多かった地域です。そして、もちろん北朝鮮と韓国は一つの国でした。しかし、今は訪れることのできなくなっている国の様子を知りたがっていたのです。

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