流浪の旅を続ける「大宮ユースの最高傑作」が…
水戸の「救世主」になれるかもしれないと期待をしている選手がいる。それは流浪のアタッカーとなった黒川淳史だ。大宮ユース出身の黒川は、「大宮ユースの最高傑作」と謳われたほどの逸材だ。だから、本来ならばどこかのチームに「定住」して活躍していてもおかしくはない。しかし、私はあえて彼を「流浪のアタッカー」と呼びたい。「流浪」とは、「住むところを定めずにさまよい歩くこと」の意味である。黒川本人は、おそらく今の自分の状況を想像もしていなかったに違いない。
大宮アルディージャ(以後、大宮と記す)に所属していた黒川を水戸へ来るように口説き落としたのは当時、強化部長だった西村卓朗代表取締役GMだった。レンタル移籍を選択して水戸にやってきた黒川は、持っていたポテンシャルを十分に発揮していった。彼の鋭いドリブルと献身的な守備意識に魅了された私は、試合後に黒川を探して必ず話を聞くようになった。当時、20歳の黒川は、いつも笑顔で話をしてくれた。
黒川はレンタル期間を終えて再び大宮に復帰したのち、2022年に大宮ユースでの恩師だった伊藤彰が監督を務めることになったジュビロ磐田に移った。不運にも成績不振で、伊藤はシーズンなかばで解任されてしまう。次に黒川が選択したのが町田ゼルビア(以後、町田と記す)だった。さらに、大宮に再びレンタル移籍をして町田に戻ってから、現在の水戸に復帰した経緯がある。私が20歳だった彼と最初に会話をしてから6年の歳月がたっていた。