■森保監督が語る「日本サッカー大変動期」

「あの大会では、試合を追うごとにサポーターも増えて、最後は広島のビッグアーチが満員になりました」

 32年前を思い起こしながら、森保監督は、日本のサッカーの「大変動期」に、その原動力の一部になれたことに満足を覚えているようだった。

「びんご」でのUAE戦は、1万人収容のスタジアムがいっぱいになったが、サポーターは顕著ではなかった。いまのファンは想像もつかないかもしれないが、この年の9月にナビスコカップが始まる前まで、日本のサッカーには「サポーター」はいなかったのである。ハンス・オフト監督の初戦となった6月のキリンカップ、アルゼンチン戦は東京の国立競技場に6万人の観客を集めたが、組織的なサポートなどなかった。日本代表のサポーターは、この広島のアジアカップで生まれ、たちまちのうちにスタジアムをのみ込んでいったのだ。

 2試合目、舞台を広島のビッグアーチに移しての北朝鮮戦では3万2000人が詰めかけ、バックスタンド上部では「ウォーク」と呼ばれる歌いながらサポーターが左右に移動するパフォーマンスが始まった。そして、このイラン戦は3万7000人の観客を集め、歌声はさらに高くなった。

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