岡崎慎司(シントトロイデン)、興梠慎三(浦和)ら同世代FWと切磋琢磨してきた李忠成。彼が強い輝きを放ったのが、2011年アジアカップ(カタール)決勝・オーストラリア戦の決勝弾だった。
スコアレスのまま、試合はギリギリの緊張感の中、延長線へ突入。その前半9分にピッチに送り出された李は後半4分、長友佑都(FC東京)のクロスに鋭く反応。左足ボレーを振り抜き、日本をアジア王者へと導くゴールを叩き出したのだ。
「あの瞬間を思い返してみると、どんなボールが来ても打てるように妄想していましたね。佑都が上げるクロスがふんわり来るのか、スピードボールなのかといろいろ考えて、裏にも動ける態勢も取ったりしてました。10パターンくらいは妄想してたかもしれない(苦笑)。ある意味、代表のFWは”変態”なのかな(苦笑)。妄想癖があればあるほど、多彩なシチュエーションに対応できるわけだから。僕は変態でいいと思っています」と李は独特の言い回しでビッグチャンスを仕留めるポイントを口にしていた。
「あのボレーで家を建てた」と語ったことがあったくらい、李忠成の存在価値や注目度は飛躍的に上昇した。その後、イングランドのサウサンプトンへ赴き、プレミアリーグも経験。浦和レッズ時代にはAFCチャンピオンズリーグ(ACL)制覇の原動力となり、横浜F・マリノスでアンジェ・ポステコグルー監督(トッテナム)に師事し、京都サンガではJ1昇格の瞬間も味わった。そして最後に東南アジアでプレーするという念願を叶えることもできた。それは点取屋として大仕事をしてきた成果に他ならない。