大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第126回「小さな四角の存在意義」(1)数百試合に1度だけ目を引く謎の四角形の画像
緑美しい芝生に描かれたシンプルで、そして考え抜かれたライン。この世の中で最も美しく、完成されたデザインのひとつだ (c)Y.Osumi

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、「あれって、何のためにあるの?」

■知恵の集合体たるピッチ

 サッカーのピッチに引かれたさまざま白線は、現代の社会のなかで最も美しいデザインのひとつであると、私は思い込んでいる。もちろん、頭のなかの7割から8割がサッカーになってしまっている重症の「サッカー中毒患者」であるせいかもしれないが。

 だがともかく、日に照らされて美しく輝く芝生のフィールドに太さ12センチの真っ白な線(直線と円または円の一部)で描かれたラインは、何も付け足す必要もないし、何を削っても大きなものを失う。

 人間の成すことに「完璧」は期しがたく、ただ、人類の歴史のなかにときおり出現する「本物の天才」のみが生み出す絵画や彫刻、あるいは音楽などのなかにその片鱗を見るだけである。この星に人類が誕生してからその累計人口は約1080億人と推計されているらしいが、こうした「本物の天才」がおそらく両手で数えられるほどしかいないという事実に、愕然とするのである。

 ところが、私の目には「完璧」としか思えないサッカーのピッチは、ひとりの「天才」の頭脳から出たものではないのである。ほぼ4分の3世紀という長い時間をかけて無数の人びとの知恵を寄せ集めて形づくられ、1938年にようやく完成したものなのである。それから86年間の長きにわたって、そのデザインがまったく変わっておらず、それでもそのピッチ上で行われる競技が人類を挙げての熱狂を生んでいる事実に、さらに驚くのである。

  1. 1
  2. 2
  3. 3