■「チボリ」の由来
「アルター・チボリ」の完成は1928年。1万人収容の、当時としては最高クラスのスタジアムだった。1953年には2万人規模に拡張され、さらに1957年にはメインスタンドに屋根がかけられ、照明塔も設置された。ただし2万のうち1万7000席は「立ち見席」だった。当時のスタジアムとしては、ごく当たり前の比率だったらしい。
ところで、ドイツのアーヘンでなぜ「チボリ」なのだろうか。チボリといえばイタリアの有名な保養地である。実は19世紀にこのあたりに高名な写真家の邸宅があり、その庭がイタリア風だというので「チボリ」と呼ばれるようになり、その後この地域に開かれた市民のための運動施設を「チボリ・スポーツパーク」と呼んだのが由来だという。
「アルター・チボリ」は新しい「チボリ」が完成した後もアレマニア・アーヘンのユースなどが使っていたが、2011年には土地が売却され、完全に取り壊された。そしてその土地が、現在はホテルになり、住宅地となっているのである。
西側のメインスタンドと東側のバックスタンドは建物だったが、南北のゴール裏のスタンドは「土塁」を築いてそこに階段状の観客席(立ち見席)を設ける形だった。土地売却後、開発業者によって南側の「土塁」は崩され、平地となったが、北側の「土塁」は高級マンションの「裏庭」のようになっており、崩されることなくいまも残っている。「アルター・チボリ」の痕跡を最も強く感じられる場所である。