大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第120回「チョップ、チョップ、アーヘン」(3)日本代表を迎え入れたイタリア保養地の名を持つスタジアムの画像
この平和な公園こそ、1960年に日本代表が歴史的な第一歩を印した「アルター・チボリ」のピッチだった (c)Y.Osumi
■住宅地の北側に残る、かつての「アルター・チボリ」のゴール裏スタンド跡

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回のテーマは「日本サッカーの出発点」。

■新しくできた「チボリ」

 現在、アレマニア・アーヘンは市の中心から北にある「チボリ」という名の近代的なスタジアムで戦っている。2006年のブンデスリーガ1部昇格を受けてクラブとアーヘン市が建設を計画、市民の寄付を得て2008年に建設が始まり、2009年夏に完成した収容約3万3000人という近代的なスタジアムである。しかし残念なことに完成時にはアレマニア・アーヘンはブンデスリーガ2部に落ち、現在はその下の下、地域リーグでプレーしているのだが…。

 ただし、このスタジアムは1960年に日本代表がクラマーさんの目前で「新時代」へのスタートを切ったアレマニア・アーヘンのスタジアムを壊して同じ場所に建てたものではない。新スタジアムは、旧スタジアムから数百メートル北東に建てられた。そして旧スタジアムの「チボリ」という名称を引き継ぎ、旧スタジアムは「アルター・チボリ(オールド・チボリ)」と呼ばれるようになったのである。

 すなわち、1960年に日本代表がプレーしたのは、現在の近代的な「チボリ・スタジアム」から南西に少し離れた場所にあった。現在では「ハンプトン・バイ・ヒルトン・アーヘン・チボリ」という高級ホテルがある場所が敷地の南東の角にあたり、その北に広がる低層の集合住宅が並ぶ高級住宅地こそ、パスが3本つながらない時代の日本代表がクラマーさんに初めて試合を見てもらったスタジアムのあった場所なのである。

 その住宅地の小路には、「アレマネン(アレマニアの)通り」や、「シュターディオン(スタジアム)通り」などの名前がつけられ、中央の公園には「アルター・チボリ遊び場」という看板があり、往時をしのばせる。

PHOTO GALLERY ■住宅地の北側に残る、かつての「アルター・チボリ」のゴール裏スタンド跡
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