■63年前の選手たちの思い

 1960年、日本のサッカーは、まさに「崖っぷち」にあった。前年のオリンピック予選で韓国に1勝1敗ながら総得点1-2で屈し、ローマ・オリンピックに出場することができなかったのだ。他の競技が4年後の東京オリンピックに向けてローマ大会で経験を積むなか、サッカーだけは「蚊帳の外」という形だった。日本代表が羽田からパリに向かった航空機には他の競技団体の視察団でいっぱいで、彼らは翌日にはローマに向かった。サッカーの日本代表だけがデュッセルドルフ行きの便に乗らなければならなかったのである。

 開催国枠で自動的に出場できる東京オリンピックではふがいない成績を残すことはできないと、日本蹴球協会は背水の陣を敷き、この年の3月にクラマーさんの招聘を決め、8月には、日本のサッカーとして1936年ベルリン・オリンピック以来の「欧州遠征」を決行したのである。

 選手団22人は、どんな思いで日本を飛び立ち、また、どんな思いでクラマーさんの指導を受け、ドイツの名門クラブとの試合に臨んだのだろうか。そしてパスが3本もつながらないという試合で0-5の完敗を受けて、何を考えたのだろうか。

 しかしそれがドイツとのアウェーゲームを4-1で勝つという現在の日本代表へのはるかな「スタート」であったのは間違いない。

 ここに2万の観客を熱狂させるスタジアムがあったことなど想像もできない「アルター・チボリ」の平和で静かな夏の夕刻。私は63年前の日本の若い代表選手たちの心を思った。

PHOTO GALLERY ■住宅地の北側に残る、かつての「アルター・チボリ」のゴール裏スタンド跡
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