サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回のテーマは「日本サッカーの出発点」。
■アーヘンという街
その場所は、あるドイツの地方都市の郊外、何の変哲もない住宅地だった。低層の集合住宅が何棟か建ち並び、それに囲まれるように芝生豊かな小さな公園がある。午後の公園では、若い母親が子どもたちを遊ばせていた。だがそこは、日本サッカーの「出発点」のひとつと言っていい場所だった。
「Aachen」(アーヘン)という駅名を見て、思わず列車を飛び降りた。日本代表の欧州遠征、ドイツに勝った翌日、ヴォルフスブルクから鉄道で次戦トルコ戦の行われるベルギーのゲンクに向かっている途中だった。
正直に告白するが、実は前段落は大幅に「盛って」いる。というより、ウソを書いている。実際には、アーヘン行きは日本を出発する前から予定していた。しかもこの日ドイツ鉄道(DB)が大混乱し、予約していた列車に乗ろうとヴォルフスブルク駅に行くと運休になっており、30分後の列車でアーヘンへの乗り換え駅であるケルンにようやく到着したものの、アーヘン行きが次々と出発予定の電光掲示から消えて、何時に着くのかまったく不透明になったため、実際には、アーヘンに住む友人にケルンまで車で迎えにきてもらったのである。
ドイツの西の端、ベルギーやオランダと国境を接するアーヘンは、日本サッカーの歴史で重要な節目となった都市である。いまから63年前、1960年の8月23日に、ドイツ遠征中の日本代表(故・高橋英辰監督)が、この町にある名門クラブ「アレマニア・アーヘン」と、そのホームスタジアム「チボリ」で対戦した。それこそ、「日本サッカーの父」と言われる故デットマール・クラマー・コーチが初めて見た日本代表の試合だった。